年に一度お寺から来る封筒の中身を何の気無しに眺めていると、一番最後の50回忌に祖父の名前を見つけた。ひさしぶりに見たこの名前、辰蔵。自分の名付け親である❣️
湯島天神の坂の下が実家、本郷で医療機械屋をやっていた。メスなどの手術道具からベッドまで作りブイブイ言わせていたらしい😁薬剤師として、衛生兵で戦争にも行った。最後まで大手の医療機器メーカーに勤めた、根っからの医療機械の技術者でもある。おかげで息子は医者になり、孫の私は薬剤師と血は受け継いでいる。
昔の大河ドラマでは、信長が最期本能寺で「人間50年 下天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり 一度生を得て滅せぬ者のあるべきか」と炎のなかで吟じ舞っていたのを覚えている🔥
源氏の武将熊谷直実が、平将門の甥の息子で16才の敦盛を討ち、自分の息子も同じく16才で亡くして出家する場面「16年はひと昔 夢だ夢だ」と嘆く名台詞が歌舞伎にある😭
この史実をにした幸若舞(700年前から伝わる民俗芸能で能や歌舞伎の原型と言われる)の一節で、天の時間の1日がこの世の50年であり、辛い事悲しい事も天の時に比べたら一瞬にすぎない、夢幻のように儚いものだという意味で人生50年というわけではなく、信長はどう想っていたかはわからないが、好んで舞っていたそうだ。
ちなみに有名な戦国武将はみな漢方薬を用いていたが、薬草の宝庫と呼ばれる伊吹山は、信長が作らせた薬草園の後である👍現在までも繫がる歴史上の人物の、素晴らしい功績の一つに違いない😄