HOME
MENU
アクセス

6月 デュ・アン 太極拳クラブ

スタッフブログ

デュ・アン太極拳クラブの皆様

ウェブページをご覧の皆様

2021年6月の練習について、ご連絡申し上げます。

今月は2、9、23、30と水曜日の練習は4回を予定しております(16日はお休みになりますのでご注意ください)。お部屋はいずれの日も赤羽文化センター第2視聴覚室を使用します(時間は9:30-11:00)。

新型コロナ感染予防につきまして、緊急事態宣言期間も含むことも考えられますので必要な事項を守りながら注意して参りましょう。教室ではお互いに適度な距離をとれるようにし、換気扇を回し、換気に注意して練習を行いたいと思います。

引き続き、施設利用に関して以下のようなルールがありますので遵守の上ご参加くださいますようお願い致します。

①ご自宅で検温の上お越しください

(37.5℃以上の発熱、体調がすぐれない場合は参加をご遠慮ください)

②室外および共用部にて、マスクを外しての大きな声での会話を控えること

③こまめな手洗い、アルコール等による手指の消毒

等々、詳細はまた教室にて確認していきます。

床に座っての柔軟体操が心配なかたはバスタオル等の敷物をお持ちください。施設利用に関して変更等が生じた場合はメールにて皆様にご連絡致します。そのほか、何か気がかりな点がありましたらお気軽にお尋ねください。

― 時の記念日に考える(「時間」と「いのち」と「お金のしくみ」のお話)―

梅雨入り前の初夏の光をめいっぱい受けているケヤキたちは涼しい木陰も与えてくれます。

6月は決して知名度が高いとは言えない記念日、「時の記念日」があります。671年4月25日に天智天皇が漏刻(水時計)を使って初めて時を知らせたという『日本書紀』の記事にもとづいて、その日を太陽暦に換算して現在は6月10日に定められているそうです。

水時計?!と聞くとなんだかワクワクするし、時計が使用されていなかった時代の人類の生活に想像を巡らせたりすると楽しいものです。

 しかし記念日のなかでもかなり最初の頃に定められた「時の記念日」の第1回目は大正9年(1920)のことで、大正中期、生活の近代化推進という時代背景の中、時間を節約することで効率性を向上させることが近代生活の基本として位置づけられたらしい、と聞くと、まったく違った心持ちになります・・・

 1日24時間は地球が自転することによって、1年365日はその地球が太陽の周囲をぐるりとまわり、その間に月が地球の周りを12回めぐることによって生じている、と科学者たちは結論付けました。また地球上の生命の営みが天体のリズムに従っていることを示す観察記録も膨大にあります。では、人間ひとりひとりにとっての時間とはどのように説明され得るのでしょうか。

 「だれでも知っているとおり、その時間にどんなことがあったかによって、わずか1時間でも永遠の長さに感じられることもあれば、ほんの一瞬と思えることもある・・・時間とは、生きるということそのものだからです。そして人のいのちは心を住みかとしているからです。」(ミヒャエル・エンデ『モモ』第6章より、大島かおり訳)

 エンデが私たちに残してくれた物語『モモ』にはこんな風に表現されています。しかも、ほとんど同一の表現が第8章にも再び登場しています。

「・・・時間とは、生きるということ、そのものなのです。そして人のいのちは心を住みかとしているのです。人間が時間を節約すればするほど、生活はやせほそっていくのです。」

これは、主人公の小さな女の子の「モモ」が、「時間の国」の主である「マイスター・ホラ」とモモよりもっと小さいカメの「カシオペイア」と力を合わせて、時間どろぼうの「灰色の男たち」に挑むお話です。灰色の男たちはモモの仲間や街の人たちをインチキでまるめこんで盗んだ時間を「時間貯蓄銀行」に貯蔵して自らの存在を保っています。モモは最後にどうにかそこにたどり着いて、盗まれた時間をもとの持ち主に返すことでみんなの生活を救うのです。

当時小学5年生で初めて読んだときは、それこそ時間を忘れて物語の世界に引き込まれていきました。しかし、大人になった今の自分にとってこれほど重大な意味を持つ作品になるとは、その時はまったく知るよしもありませんでした。

 私が小学生として『モモ』の日本語訳を手にしたのとちょうど同じ頃に、原文のドイツ語で読まれたであろうドイツの経済学者ヴェルナー・オンケンが作者エンデに一通の手紙を送っていることが分かっています。

「1986年、エンデの『モモ』を読んだオンケンは、それには、<時間とともに価値が減る>というシルビオ・ゲゼルの自由貨幣の理論と、ルドルフ・シュタイナーが提唱した<老化するお金>というアイデアが描き込まれていると感じ、その考えを<経済学者のための『モモ』>という論文にまとめました。そしてエンデ本人に手紙を書き、自分の考えが正しいかどうか確かめたのです。」(河邑厚徳ほか『エンデの遺言』第1章より)

 エンデはすぐにオンケンに返事を送り、1986年9月3日付のその手紙に、「老化するお金という概念が私の本『モモ』の背景にあることに気づいたのはあなたが最初でした」と伝えています。最初に『モモ』が出版された1973年から10年以上が経過していたことになります。

オンケンは物語の中のモモとマイスター・ホラの会話に注目します。

モモ:灰色の男たちは、いったいどうしてあんなに灰色の顔をしているの?

マイスター・ホラ:死んだものでいのちをつないでいるからだよ・・彼らは人間の時間を盗んで生きている。しかしこの時間はほんとうの持ち主から切りはなされると、文字どおり死んでしまうのだ。

モモ:じゃあ灰色の男は人間じゃないの?

マイスター・ホラ:ほんとうはいないはずのものだ。

モモ:もし時間をぬすむことができなくなったら、どうなるの?

マイスター・ホラ:そうしたら、もとの無に帰って消滅してしまう

「灰色の男たちは、不正な貨幣システムの受益者にすぎない・・自然に適合した貨幣システムが実現して、灰色の金利生活者たちが利子を通じて人間から時間を盗むことができなくなってしまえば、彼らは人間存在としてではなく、不正なシステムの受益者として”安楽死”(ケインズ)を受け入れなければならない。 」(ヴェルナー・オンケン「経済学者のための『モモ』入門」より、宮坂英一訳)

エンデはなぜ、お金、つまり貨幣の仕組みに着目したのでしょうか?それは、「先行してお金の問題が解決されなければ、われわれの文化に関するすべての問題は解決されない」と気づいたからだといいます。

逆に考えれば、世界中で起きている貧困や格差拡大、自然破壊や気候危機、数多の倫理的不正、今話題のSDG’sの17のどの目標も、お金、貨幣の価値を不変とみなすことを再考し(お金の価値にも「ナイスエイジング」してもらう)、借金返済には必ず利子が伴うという現行の運用ルールを変えて、改善しさえすれば、かなりの程度解決できる可能性が高いということになります。「貨幣の暴力的支配」を終わらせることがまず先決、というのがエンデから全人類への提案なのです。

 前年1985年7月22日にミュンヘンでエンデと対談した日本人のドイツ文学研究者、子安美知子氏に対しては、『モモ』を書くことによって「人間から時間が疎外されていくのは、いのちが疎外されていくことであり、そう仕向けていくおそろしい力が世界にある。しかし一方に、別の力が働いており、これが人間に治癒の作用を送ってくる。と、そこまで暗示したつもりです。」と語ってもいます。(子安美知子『エンデと語る』より)

エンデは生前、東洋思想にも深く親しみ、現代の世界でのその重要性を見抜いていました。現代の私たちが漢方や太極拳に魅力を感じることともつながっているように思います。

 6月も太極拳の「ゆっくり」を楽しみながら練習していきましょう。

o(^-^)o

デュ・アン 太極拳クラブ講師 青山明子